ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/伊藤典夫・浅倉久志訳
『愛はさだめ、さだめは死』 解説
大野万紀
ハヤカワ文庫SF
昭和62年8月31日発行
(株)早川書房
WARM WORLDS AND OTHERWISE by James Tiptree,Jr.
(1975)
ISBN4-15-010730-0 C0197
センス・オブ・ワンダーランドのアリス
(――と、このタイトルは誰かがどこかで使ってたような気がするけど、ま、いいか)。
彼女の名前はアリス。高名な探検家の父と作家である母に連れられて、十歳になるまでに世の中のありとあらゆる現実を見てしまった銀色の髪の美少女。幼いころから世界中を巡って、飛行機や銃によって荒される以前のアフリカ、月の山と呼ばれるルベンゾリを眺め、カルカッタの町では飢えた人々の間を歩き、まだ平和だったベトナムの森を小馬に乗って駆けた彼女。五歳のころ、彼女を女神のように崇拝する三十人の原住民の見守る前で平然と髪にブラシをかけていたという彼女は、しかし誰よりも鋭い感受性の持ち主であり、様々な異文化、宗教、タブー、その他との接触によって「同年代の普通の子供たちとの生活に深い疎外感を覚え、文化の相対性に悩まされる」早熟で孤独な少女となった。
アリスの思春期は強大な両親(特に美しく、知的でエレガントな、その一方でライフルを肩にアフリカの大地を踏破し、巨象を狩るとてつもなくタフな母親)の影響力から自立しようとする激しい苦闘の日々だった。十二歳で自殺を試み、十代の終わりごろ、母親が彼女をニューヨーク社交界にデビューさせるための盛大なパーティと世界一周旅行(英国王室に招かれて国王陛下に拝謁するのがそのクライマックス)を計画しているのを知るや、それをぶち壊すためだけに三日前に知り合ったばかりのハンサムな男の子と駈落ちし、結婚する(すぐに離婚したが)。
二十代前半の彼女は、グラフィック・アーティストとして著名な雑誌に寄稿したり、個展を開いたり、美術評論を書いたりして暮らしていた。また左翼運動に没頭し、自らをアナーキストと規定していた彼女だが、ヨーロッパの戦争が激しさを増した一九四二年、陸軍に入隊。女性として初めて空軍情報学校を卒業し、写真解析士官としてペンタゴンの中枢で働き始める。
四五年、彼女はドイツに渡り、ドイツ科学の成果と科学者たちをできるだけたくさん合衆国へ連れ帰るプロジェクトに参加。アメリカのアポロ計画も、もともとは彼女たちの活躍がなければ実現しなかったかも知れない。このプロジェクトの立案者で指揮官だったハンティントン・D・シェルドン大佐とアリスは結婚する。二人はその後軍を離れ、ささやかな生活をしていたが、五二年、CIAの発足とともにその設立に力を貸すよう政府から要請される。ハンティントン氏はトップレベルで、アリスは写真解析部門の技術レベルでCIAの組織づくりに力を注ぐことになる。五〇年代の東西対立の中で、夫妻はCIAの活動に深く巻き込まれるが、この頃のことはあまり知られていない。フルシチョフ首相の健康状態を調べるためにその尿を入手する作戦など、いろいろ面白そうな話はあるのだが、詳しくはわからない。
五五年、政治・軍事の秘密をさぐるよりも自然の秘密を知りたいという思いがつのり、辞職願いを書いて姿をくらます。CIAで学んだテクニックを駆使して別人になりすましたが、結局は夫のもとへ戻る(この自分を別人にするテクニックというのは、後にティプトリーとしてSF界に姿を現わす時も役にたったものだろう)。彼女は基礎科学を学びたいと思い、もう四十代の後半になっていたが、大学に入り直して実験心理学に挑戦した。アリスはここでもすばらしい才能を現わし、大学を最優秀の成績で卒業、優等で博士号を取得する。その後心理学の講師となり、大教室で学生たちを教えるが、ついに体をこわして、講師生活を続けることができなくなった。
大学を辞める前に、アリスは「正気ではできない」ことをやってのけた。SFを書いてしまったのである。もともと彼女はSFが大好きな少女だった(それもまた、母親が決してやらないことの一つだったから)。九歳のころからSF雑誌を読みふけっていたという。彼女はSFを発表するにあたって、ちょっぴり茶目っ気を発揮した。渋い中年の男性を創作し、彼をその作者としたのである。彼の名はジェイムズ・ティプトリー・ジュニア。本書の作者である。
一九六八年、ティプトリーはSF界にデビューした。彼はたちまちSF界の話題をさらう。そこから先の騒ぎは本書のシルヴァーバーグの解説に詳しい。七三年ヒューゴー賞受賞(本書「愛はさだめ、さだめは死」)、同年ネビュラ賞受賞(本書「接続された女」)、七六年ヒューゴー、ネビュラ両賞受賞(「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」)。これが「ティプトリー第一の衝撃」。この時のティプトリーは、経歴も何もわからない、謎の作家だった。その作品のすばらしさは、ぜひ本書で味わってほしい。
一九七七年、「ティプトリー第二の衝撃」がSF界を襲う。ティプトリーは女だったと暴露されたのだ。本書収録の「男たちの知らない女」のような作品が、フェミニズム運動をベースに議論されているさなかだったので、これは真に衝撃的なニュースだった。本書のシルヴァーバーグによる解説にもその混乱が現われていて面白い。アリスは不本意ながらその正体を明かにした。八三年、彼女はチャールズ・プラットとのインタビューの中で、ここに書いてきたような自らの経歴を読者に語った。少女時代からのとほうもない体験がSFファンの前に明かにされた。これをティプトリー第二・五度目の衝撃という人もいる。その後のアリス=ティプトリーは、夫の体調の悪化もあって執筆量は落ちていたが、最近作の「たったひとつの冴えたやりかた」のシリーズのように、新たな挑戦によって絶えず読者を驚かし続けてきたのである。だが、まだ最後の、とんでもない衝撃が残されていた。
一九八七年五月十九日、アリスは弁護士に後事を託する電話をかけ、病気で寝たきりとなった夫を射殺し、同じベッドの上で自らの頭を撃ち抜いた。彼女は七一歳、彼は八四歳だった。殺人と自殺。日本ではこれを心中という。終戦時ヨーロッパの瓦礫の中で結婚した二人は、四十年以上深い愛につながれ、一心同体となって生きてきた。自らの心臓の病気が悪化してきたことを知った彼女にとって、これが「老いたる霊長類」にできる「たったひとつの冴えたやり方」だったのだろう。
次の日、コンピュータ・ネットワークは全世界に彼女の死を知らせた。日本でも多くの編集者、翻訳家が眠い目をこすりながらニュースを知らせる電話の前でぶっとんだ。これを「ティプトリー三度目の衝撃」という。
ドラマチックな生涯! 何という、ドラマチックな生涯。
アリスは現実のワンダーランドの中に生き、フィクションのセンス・オブ・ワンダーランドをわれわれに残した。彼女の人生はわれわれ凡人から見ると驚きの連続のように見える。そして、そのSFもまた。
本書はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの二冊目の短編集 Warm Worlds And Otherwise (1975) の全訳である。またわが国におけるティプトリーの二冊目の訳書でもある。本書がアメリカで出版された時、ティプトリーの正体はまだ明かにされておらず、この解説に書かれたような背景は何一つ知られていなかった。だから、本書の作品を楽しむのにこういう情報は本当は不必要だろう。ぼく自身、本書に収録された作品は、発表された当時リアルタイムに読んできているので、非常に深い思い入れがあるものばかりである。サイケデリック! という言葉がぴったりくる「すべての種類のイエス」、エリスンの『危険なビジョン再び』のトリを飾った「楽園の乳」、初めて読んだ時その強烈な人類への視点にショックを受けた「エイン博士の最後の飛行」、ショートショートながら、今読むとティプトリーの人生をシンボライズしているような「アンバージャック」、そして〈サイバーパンク〉を完全に先取りしている「接続された女」、ユーモラスなスカトロSF(そんなものがあるのかしら)の傑作「恐竜の鼻は夜開く」、そして読む者にいつのまにか人類社会に関する深い思索をしいる解説不要の傑作「男たちの知らない女」、異星生物のライフサイクルを独特な文体で描いた「愛はさだめ、さだめは死」、そしてとてつもない迫力で破滅を描きながら、人類と個人の意識の問題を考察する「最後の午後に」。うーん、やはり何もいうことはない。すべて傑作だ。
センス・オブ・ワンダーランドのアリスはきっぱりと自己を完結し、未知の世界に消えていった。でも、ひょっとして、ユカタン半島のどこかのコテージで、初老の、渋い独身男性、「野外生活を好み、毎日の生活に落ちつけないものを感じ、この世界の多くのことを見聞してきて、それをよく理解している人物」、英国製のジャムのびんからその名をとった、もとCIA職員が、青いリボンのタイプライターを叩いているところなのかも知れない。新たなSF短編を一つ書き終え、今署名をするのだ。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、と。
(付記)この解説を執筆するにあたっては、チャールズ・プラット編のインタビュー集 DREAM MAKERS Vol.2 (1983) およびローカス誌八七年七月号の記事を参考にしました。
(著作リスト)
(本書収録作の初出)
1987年7月
(追記 2017/09/03)
この解説にある、ティプトリー夫妻が1952年にCIAの設立に関わったという記述は、CIAの設立が1947年であることから、不正確ではないかとの指摘がありました。この記述はチャールズ・プラットのティプトリーへのインタビューをもとにしたものですが、確認したところ、このあたりはかなり曖昧に書かれており、ティプトリー自身が文章に手を入れて誇大に表現したものと思われます。後の、ジュリー・フィリップスによる評伝によっても、夫妻はCIAの設立そのものに関わったのではなく、創設されたCIAの組織の立ち上げにあたって、夫のハンティントン・シェルドン氏に声がかかり、その際にアリスも(あまり重要ではない役割で)参加したというあたりが実際のところなのでしょう。