ピアズ・アンソニイ/山田順子訳
『ゴーレムの挑戦』 解説
魔法の国ザンス(9)
大野万紀
ハヤカワ文庫SF
平成6年4月30日発行
(株)早川書房
GOLEM IN THE GEARS by Piers Anthony
(1986)
ISBN4-15-020193-5 C0197
お待たせしました。本書は〈魔法の国ザンス〉の第九巻、Golem in the Gears (1986) の全訳です。前作『幽霊の勇士』が翻訳されてからほぼ一年半、脱水蛇に噛まれたようなザンスファンの乾きもこれで少しは癒されるでしょうか。
前作からザンスの世界ではおよそ三年がたちました。アイビィは前作でいなくなってしまった谷ドラゴンのスタンリーを探そうとやっきになっています。三歳になったばかりの弟のドルフに、変身魔法を使って探させようとしているのです。あぶなっかしいことこの上ない。これを知ったゴーレムのグランディは、自分がスタンリーを見つけてあげるとアイビィに請け合います。実はグランディは、自分も〈探求の旅〉に出て、他のみんなのように英雄になりたいと思っていたのです。
そういえば、これまでのザンスの各作品では、いつも誰かが主人公になって〈探求の旅〉を行っていました。ビンクが、ドオアが、メリメリが、そしてイレーヌやアイビィまで……。なのにゴーレムのグランディは、第二作からずっと登場しているというのに、いつでも脇役でしたね。何しろ徹底的に口が悪く、性格も素直じゃない。どちらかというと災難を引き起こす方の役でした。そのグランディが自分も英雄になりたいとは、笑っちゃいます。
ところが、この悪口をいうことしか取り柄のない(いや、どんな生き物とでも話ができるという大事な能力の持ち主なのですが)ちびのグランディが、本書ではなかなかしぶい活躍をするのです。すばらしいロマンスまであったりして……いや、これは読んでのお楽しみ。
今度のパーティには、何とベッドの下の怪物が同行します。あちらの国では、たいていの子供たちのベッドの下に、寝相の悪い子の足を引っ張ったりする怪物が住み着いているようです。グランディと同行するのはアイビィのベッドの下にいたスノーティマー。ベッドの下の怪物を連れていくためには、ベッドもいっしょに運ぶことになります。何だかおかしな〈探求の旅〉ですね。笑ってしまいます。しかし、グランディの力ではベッドを運んで旅するのはとても無理。それで、六十歳になったビンクが(途中まで)ベッドを運んでくれることになります。セントールのチェスターもいっしょです。そのビンクを評した言葉が「愚かではないが、そう重要でもない人物。いなか道をベッドをかついでいくしかほかにすることのない者」。これは悪口が大好きなグランディの言葉だから割り引くとしても、国王の父で、第一作と第二作の主人公だったビンクに対してずいぶんな言い方だとは思いませんか。でも、これでこそザンス。これでこそグランディですね。
さて、「ザンスはおおかた、だじゃれで成立してんのさ」というのは『夢馬の使命』でのグランディのセリフですが、前作の訳者あとがきで山田順子さんが書かれていたように、本書ではそのだじゃれがますます強烈になっています。あちらのザンスのファンたちは、自分たちの考えただじゃれを作者のアンソニイに山のように送ってきていて、原書では採用された人の名前が作者あとがきで紹介されているほどです。ファンとの交流で成り立っているわけで、大変ほほえましいのですが、これを日本語にすることを思うと……本当に訳者の苦労がしのばれます。ま、正直なところ、すべて日本語にするなんて不可能なわけで、見事な工夫ですばらしい語呂合わせが成立しているところも多いのですが、どうしようもなくて苦しいところも出てくる。何だか不思議なものが出てきて不思議な行動をとっていれば、それはとんでもないだじゃれで成り立っているところなんだな、と想像するのが日本のファンの正しい読み方だといえるでしょう。
本書の初めの方で、ザンスの事典を作ろうとしているエムジェイという女性と、その協力者であるロバが出てきます。彼女たち、M・J・ラングレーと、その仲間(Ass-ociates
: Ass はロバの意)マイクとキースの手によって、ザンスの用語辞典が作られ、それは本書の原書版の付録となりました。原文でだじゃれがどうなっているのか知りたい人は、これを見ればよくわかります。でも、これをそのまま日本語にしても、あんまり意味はないでしょうね。
本書が出版されたのは一九八六年ですが、作者のあとがきによれば、本書は作者が初めてワープロを導入して書いた小説だそうです。ザンスの世界にもコンピュータが入ってきたのはこのためでしょう。いや、コンピュータじゃなくて、コン・ピュータでしたね。本書に出てくるコン・ピュータは、言葉によって現実を変える力を持っています。これってワープロで小説を書くことそのものだとは思いませんか。
現実を変えるコン・ピュータとの頭脳ゲームもその一つですが、本書ではグランディたちが様々な頭脳ゲームに挑戦します。ゴーレムって、けっこう頭がいいんですね。その中で、本書の結末に出てきて、重要な意味を持つ〈虜囚のジレンマ〉について説明しておきましょう。こんなものが出てくるなんて、ザンスはやっぱり普通のファンタジーじゃありません。まるでハードSFみたいなファンタジー(?)だといえるでしょう。
〈虜囚のジレンマ〉(囚人のジレンマともいう)は、七〇年代終わりから八〇年代初めに進化論やゲーム理論、コンピュータ科学の分野で大きな議論を呼んだゲームです。ルールは単純で、本書に書かれている通り、競技者の取る手は二つ、協力するか、裏切るかです。競技者の双方が協力すればかなりいい得点(双方三点)がもらえ、双方とも裏切ればかなり悪い得点(双方一点)となる。しかし相手が協力しようとしている時にこちらが裏切れば、裏切った方がとても有利となる(相手は〇点、こちらは五点)。こういう条件で勝負を繰り返すのです。このゲームは見かけほど単純なものではなく、複雑な問題を抱えているのですが、結論から言うと、コンピュータ・シミュレーションの結果、本書でグランディが取った作戦がきわめて有効であることがわかったのです。これは進化の激しい競争の中で、協調性や利他性がいかにして生まれ、生き残ってきたかを説明する理論の根拠となる、非常に今日的で重要な結論となっています。それにしても最終的には〈にこにこ顔〉が〈怒りんぼ顔〉に勝てるというのは、とってもすてきな結論ですね。
最後に〈魔法の国ザンス〉の現在までのリストを挙げておきます。
ザンスの第一部は本書で終わりです。第十巻からはいよいよザンスの新シリーズが開幕します。新シリーズの翻訳権も取得済みとのこと。期待しながら待つことにしましょう。
1994年3月