内 輪   第156回

大野万紀


 火星大接近。夜空にひときわ明るく輝いています。薄曇りで他に星が見えない夜でも、一つだけ目立っています。天候不順な夏。
 表紙の火星の絵を作ろうと、今度は「カシミール3D」というフリーソフトに挑戦。火星の地図データなどもそろっていて、すごく本格的なのですが、機能が豊富で、なかなか使い方が難しい。思ったような絵を作るにはもっと練習が必要なようです(まだ植物の繁茂していない火星にしたいのだが、地面の植物をなくすにはどうすればいいのだろう)。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『しあわせの理由』 グレッグ・イーガン ハヤカワ文庫
 山岸真のオリジナル編集・翻訳による待望のイーガン短編集。評価の高い表題作をはじめ、9編が収録されている。
 解説が坂村健だ。理系・文系を強調したところは賛否あるだろうが、いっていることは納得できる。特に「記述」という観点を抽出したのは興味深い。
 イーガンのテーマの一つに、「無限」の扱いがある。ラッカーがよく描くような数学的無限(カントールや集合論であるようなやつ)と物理的無限(というか物理では無限は避けようとする)の間に、(まあこれも数学には違いないが)コンピュータ的、情報理論的無限がある。操作的な無限。記述というのはここにからんでくるからだ。ちなみに、解説にあるπの話もまさにこの種の無限の問題なのであるが、坂村さんはカール・セーガンの『コスモス』を読んでいないのだろうか。
 それはまあいいとして、イーガンの作品がどれも同じいくつかのテーマの変奏曲のように読めることもまた確かである。それは主として未来の、というか現代の、人間のモラルの問題である。つまり、”人間性というのが物質にすぎなくても、自意識というのがコンピュータの見る夢と変わらなくても、それにもかかわらず人間らしく生きることは大切ですよ”(ヴォネガットかい)ということだ。いや要約したらそうかもしれないけれど、それが作品ごとに衝撃的に納得させられる、感覚的にも理屈の上でも、なるほどと理解させられるわけである。
 もしかしたら、日本人の方がこの種の理解はしやすいのかも知れない。(ベクトルは逆だが)われわれは一寸の虫どころか命をもたない無生物にも時として魂を感じることができるからだ。
 「しあわせの理由」がこれほど評価されるのは、しあわせも、人間的な感情も、化学物質がもたらす反応にすぎないと理解しつつ、にもかかわらず「共感」が人間性の本質にあることを示しているからではないだろうか。ぼくはロボット工学者の浅田先生がかつて京フェスで言っていた、ロボットの心は「他者の内部状態を推定すること」によって得られるという話を思い起こした。
 「ボーダー・ガード」はとてもストレートなSFだが、ぼくにはデーモン・ナイトの「ディオ」を連想させられる。イーガン流未来史というか、「移相夢」ともゆるやかに関連しているように思える。訳者によれば、必ずしもそうではないようなのだが。「ボーダー・ガード」が面白いと思った人、「ディオ」も読んでみてくださいね。
 イーガンのもう一つのテーマ(というか同じテーマかも知れない)である、いわゆるバーチャル・リアリティも、リアルなリアリティも、実は同じものだ(そこまでいわなくても、大した違いはない)というテーマは、ちょっと気の利いたSFであればごく当たり前のように出てくるものだ。でも、その深さが違う。これこそまさに情報数学的「記述」の問題とからんでいるのだが、例の塵理論も含めて、2001年のSF大会で菊地誠さんが紹介していた、素粒子を構成する様々な定数が「この宇宙が実はコンピュータプログラムのような計算によって成り立っているとすれば実にエレガントに説明できる」という理論を思い出してしまうのだ。そういえば、あれはその後どうなったのでしょうね。

『マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust −排気』 冲方丁 ハヤカワ文庫JA
 完結編。傑作だ。前回、今度はアクション中心になるかと書いたが、強烈なアクションは最後に残され、本書の前半はカジノでのブラックジャックが延々と続く。しかしまあ何と緊迫感のある、迫力のあるゲーム・シーンが続くことか。長いのに少しもだれることがなく、ハードなアクションと同じくらいの力がこもっている。カードの1枚1枚が意味をもち、登場人物たちの人間性を浮き彫りにする。すごいや。そして今度こそ本当に息もつかせないような最後の闘いと、どこかあっけない結末。でも、この3人組には、また会いたいよ。作者後書きを読むと、本書が並大抵のことでは出来上がっていないことがわかるが、それでもパロットとウフコックとドクターには、まだこの続きの物語があるはずだ。それが読みたい。本当に。

『八妖伝』 バリー・ヒューガート ハヤカワ文庫
 アメリカ産中華伝奇小説の3巻目。1巻目は面白かったんだけどなあ。いや、本書も面白くないというわけではないが、小説としてのバランスにかなり難がある。饒舌なのはいいけれど、メリハリがなく、虚実入り乱れはいいけれど、入り乱れる一方で混乱するばかり。きちんと締めるべきところを締めていない感じだ。アメリカの読者にはこれでいいのか? 中華風な味付けの単なるファンタジー。でもそれにしては結構よく調べて書かれているので、もう少しまっとうな歴史ファンタジーとなっているのを期待してしまうのだ。もちろん時代を無視した人名や地名、さらには書名が出てくるのはまあ気にしないことにしてもいいのだが(でも気になる)、例えば本書の古き山海経の神々(というか妖怪)をめぐるドタバタな冒険は一体何なのか。お茶の密売組織を巡るミステリ仕立ての物語と並行して進むのだが、ちょっとは神秘性といったものがあってもいいのではないか。実は結末のシーンは結構気に入っているのだが、全体の雰囲気とそぐわない。訳者がすごくがんばっているのがわかるだけに、もう少しストーリーが整理されていればなあと思うのだ。宿六という謎な登場人物が出てくるのだが、このキャラクターは面白かった。

『海を失った男』 シオドア・スタージョン 晶文社
 若島正編集のスタージョン短編集。解説がいい。水鏡子は「歴史認識に誤りがある」といっているが、そうか? 『一角獣・多角獣』は当時からカルト的人気があったと記憶しているのだが。少なくとも『人間以上』より人気があったと思う。もちろんぼくは『人間以上』が好きだったけどね。解説の最後に出てくる、「海を失った男」を読んで「さっぱり何が書いてあるのかわかりませんけど、でも凄い!」といったという学生のエピソードがいい。で、確かにこれは素敵な短編集だ。ぴんとこないものもあったけど、それでもいい。一番良かったのは「成熟」。やっぱりこういうテーマがスタージョンだね。アルジャーノンという人もいるようだが、今でいえばテッド・チャンじゃないですか。アプローチの仕方は全然違うけれど、スタージョンもスタージョンなりに真剣に〈知性〉について考えているのがわかる。「そして私のおそれはつのる」もぼくが思うスタージョンらしい小説だ。「ビアンカの手」のエロスについてはあえて述べる必要もないだろう。反面、「シジジイじゃない」や「三の法則」はぴんとこないというか、どちらかというとつまらなかった。「墓読み」は面白かったけど、端正すぎてあんまりスタージョンって感じじゃないなあ。そして「海を失った男」。短いし、説明もちゃんとついているので、わからない話じゃないでしょう。凄みがあるし、SF的な情景が、マニアックな心情がある種のSFファンの心を動かすんじゃないだろうか。オタクの内宇宙ってか。いや傑作だと思う。「帰り道」との類似を指摘した解説にはなるほどと思った。「帰り道」はぼくが学生の頃翻訳してSFMに初めて掲載された作品なのです。でも言われるまで気がつかなかったなあ。


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