内 輪   第161回

大野万紀


 もう月末ではありますが、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。
 アメリカの火星探査機、スピリットとオポチュニティの火星着陸成功のニュースは、久々にほっとする嬉しいニュースです。まだこれから色々とトラブルがあるのでしょうが、無事に任務完了できればいいですね。表紙の方にも書きましたが、ぼくはパイオニアの昔からこういう探査機には感情移入してしまって、がんばれよー、とかいってしまうのですが、それって普通ですよね。クールにただの機械として見るなんて、とてもできません。しっかり鉄腕アトムの同類として見てしまいます。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『終戦のローレライ 上下』 福井晴敏 講談社
 壮絶な小説。水鏡子が2003年のSFベストに挙げるというので、読んでみようと思った。『亡国のイージス』で、作者に筆力のあるのはよくわかっている。とはいえ、分厚い。ただ長いだけでなく、重い。重量的にも重いし、内容も重い。太平洋戦争の終戦秘史であり、確かにSFでもある。フィクションだけど架空戦記ともちょっと違う。戦争だから仕方がないとはいえ、とにかく人が死ぬ。それもただ単に死ぬのではなく、壮絶に死ぬ。悲惨に死ぬ。主人公たちにとってはこれでもかというくらい厳しい展開があり、簡単には結末に向かわない。というわけで読むのに大変時間がかかった。波瀾万丈のストーリー、ほのかなロマンス、戦場での人々の勇気、熱い気持ち、そういった意味での面白さはもちろんある。だがそれ以上に、ほんの60年前の人々の気持ちが、亡霊のように重くのしかかってくる。それだけに、終章の戦後史総括が、その重さとバランスしていないように思えて、その戦後の大半を生きてきた人間としてはちょっと悔しかった。大森望が「福井晴敏に戦後史を教わりたくはない」(うろ覚え)といったというのも、同じような気持ちだったのじゃないかと思う。SF者としては、この終章はまた違った観点の描写が欲しかった。これはこれで感動的ではあるが、あのことは彼女にも受け継がれているんでしょう? しかし、それはまあ蛇足というものか。もっと早く読んでいれば、確かに03年のSFベストに入れていただろう。例によって、戦記ものとしての正確さがどれほどなのかは、知識がないのでわからない。詳しい人によれば、容認できない部分が多々あるそうだ。でもローレライの秘密を認めてしまえるなら、ぼくは別にかまわないと思える。それより、この厚さ、いや熱さの方が気にかかる。著者の意見には頷ける点が多いだけに、よけいそう思える。

『火星ダーク・バラード』 上田早夕里 角川春樹事務所
 第4回小松左京賞受賞作。火星を舞台にしたハードボイルド仕立ての超能力美少女もの。軌道エレベータも出てきます。なんて書くと、この作品を揶揄しているように聞こえるだろうが、でもその通りの作品なんだもんなあ。いや、よく書けているし、面白く読めたし、充分楽しめたから文句をつける必要もないのだが、それで? といいたくなってしまう。TVアニメの劇場版、あるいは同人誌の優秀作品といった雰囲気なのだ。いやぁーっ!ドカーン!タイプの物語で、舞台が目新しいだけともいえる。というか、作者が本当に描きたかったのは、ありきたりなストーリーの方ではなく、この火星の舞台設定だったのではないかと思われる。やや説明過多な文章が気になるとはいえ、部分的にテラフォーミングの進んだ火星の情景は、これまた良くできたアニメを見ている気分になるのだが、とても視覚的で居心地がいい。作者が自分の目で見たい、この街を歩きたい、そういう火星が描かれているように思える。ストーリーの方は権力側の力の行使が不徹底で、厳しさと甘さのバランスが悪い。超人類テーマも、途中まではいいのだが、エスカレーションするところでハードさを失ってしまう。作者はもっと自分の書きたいものを遠慮無く書いた方がいいのではないだろうか。登場人物に対しても、もっと厳しくしてもいいのではないだろうか。

『メシアの処方箋』 機本伸司 角川春樹事務所
 第3回小松左京賞受賞作家の2作目。1作目『神様のパズル』は学生たちが宇宙を作るという傑作だった。2作目は性格の歪んだ落ちこぼれたちが、救世主を作る話である。ヒマラヤで発見された太古の箱船から見つかったメッセージ。それはメシアの処方箋だったというわけ。ちょっとネタバレかも知れないが、帯にもはっきり書いてあるのだからいいのだろう。で、ぼくのSF頭では、そこで神とかメシアとかが出てくるより先に解くべき謎はいっぱいあるだろうと思うのだが、本書では強引に、いやもうひたすらに、メシアを作るのに突っ走ってしまうのだ。主人公たちは、落ちこぼれた変わり者ばかり。それがとても日常的な雰囲気の中で、プロジェクトを進める。ぼくははじめ、コメディなのかと思っていた。ストーリー的には無理がありすぎ。1作目と同様、主人公は平凡で無個性な三枚目。そこにとんでもなく強引な天才やら、奇矯な技術者やらがからむのだが、巨大な多国籍企業を相手にほんの数人で、こっそりとそれを実現しようとするのだ。SF的には大きな物語があるはずのところを、本書はひたすら日常レベルのプロジェクトXを進めていく。スネに傷持つ落ちこぼれ技術者たちが、上司にはないしょで驚くべき発明を成し遂げるというノリで。でも、ここには爽快感がない。主人公にこのプロジェクトを進める内的な動機や意欲が乏しく、無理やり言われるがままに、成り行き上関わっているという描き方のためである。本書に限って言えば、この描き方は失敗である。最後まで主人公は消極的で、物語に自ら関わろうとはせず、メシアが生まれ物語りがクライマックスを迎えても、右往左往するばかりである。とんでもないことをやっておきながら、この軽さはどうだろう。テーマが中途半端にシリアスなので、落ち着きが悪い。ボケばかりで突っ込みがないのが問題か。

『生命40億年全史』 リチャード・フォーティ 早思社
 地球の誕生からホモ・サピエンスまで、40億年の進化の歴史を語る本。昨年、あちこちの書評で話題だった。こういうのは基本的に大好きなので、面白く読み終えたのだが、この人の語り口は癖があるね。科学的知見と科学者たちのプロフィール、そして作者の自伝的内容や思いが交錯し、実はかなり読みにくい。話があちこちに飛ぶからね。意図的に、あまりドラマチックに語ろうとしていないのも、科学者らしいとはいえ、なかなかページが進まない理由でもある。そんな中で、約20億年前の先カンブリア時代の藍藻の集合体、ストロマトライトは、高さ百メートル近い巨大な円錐形の高層ビルみたいになって、それが何百キロにもわたって森のように(あるいは異星の大都市のように)林立していたとか、シルル紀のウミサソリには体長2メートルものやつがいたとか、ピテカントロプスという学名は今はなくなってしまったとか、そういった話がぼくには興味深かった。

『遺伝子の使命』 ロイス・マクマスター・ビジョルド 創元SF文庫
 ヴォルコシガン・シリーズの番外編。デンダリィ傭兵隊のエリ・クインが活躍し、マイルズは出てこない。スペースオペラといっても大宇宙を舞台にせず、宇宙ステーション内での追いつ追われつのスパイ・サスペンスという感じだ。もっとも、本当の主役は、男だけの惑星という特異な文化をもつ惑星アトスから来た医師、イーサーだ。彼がとてもいい味を出している。真面目で、ナイーブで、それまで女性を見たこともなく、自分たちの文化には誇りをもっている。とんでもなくご都合主義な話なのだが、読んでいる間はまったく気にならないし、いつものようにユーモアもあって面白く読めた。

『光速より速い光』 ジョアオ・マゲイジョ NHK出版
 アインシュタインに挑む若き科学者の物語と副題にある。いかにもとんでも系なタイトルだが、まともな科学の本なのだ。宇宙論のスタンダードであるインフレーション宇宙論の欠陥に答えようとしたら、(ある特別な状態――ビッグバンのような――においては)光の速度Cは(今測定される真空中の)光速よりも速くなるという「光速変動理論(VSL)」ができてしまったという話。一般向けの本なので、語り口は軽い(著者はラテン系――ポルトガル人)。また半分くらいは大学の官僚制や縄張り意識の強い科学者や学術雑誌の不公平さについての悪口が書かれている(そこがとても面白いのだ)。物理定数が実は変数だったというのは、言うほどびっくりするアイデアではないし(もちろんアイデアと、それを理論づけるのは別の話)、わりとすんなり読むことができた。何より著者の生活と共同研究した友人たちとの交流について、生き生きと書かれているのがいい。論文書きを放り出して恋人と外国に遊びに行ったり、ラテンっぽいのも楽しい。本書で書かれた理論が本当に新しい物理を開くことになるのかどうかはわからないが、SF者としてはとてもわくわくする。この理論は決して宇宙開闢の瞬間だけに関わるものではなく、とにかく特殊相対性理論に反するものだから、いろいろとびっくりする効果が出てくる。中でもSF的に楽しいのは、いよいよ本当の超光速(FTL)旅行の可能性が出てくること。VSL的な宇宙ひもがあれば、それに沿って旅をすれば旅行者は光より速く進むことができ、さらにウラシマ効果は起きず、帰還しても同時代に帰り着くことができるというのだ。やったね!

『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』 牧野修 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 牧野修の〈タイプB〉の短編集。〈タイプB〉というのは今ぼくが勝手につけた名前だが、〈タイプA〉は角川ホラー文庫などが代表の、ホラー系の作品。〈タイプB〉はいわゆるメタ言語SF的な作品だ。エンターテイメント性にはやや劣るが、とても刺激的で、挑戦的で、凄みのある作品群である。「異形コレクション」や「SFバカ本」に収録された作品が多いが、まとめて読むと本当に凄い。「インキュバス言語」「踊るバビロン」「演歌の黙示録(エンカ・アポカリプシス)」「在る芸人の記録」「逃げゆく物語の話」が特に面白かった。「いかにして夢を見るか」「ドギィダディ」なども印象的だが、こちら系列の話は同じテーマの繰り返しに見えてくるのがちょっとつらいかも。最後の書き下ろし「付記・ロマンス法について」はこの作者とは思えないほどストレートな話だが、それだけ今の現実に対する作者の本音が現れているようだ。

『塵クジラの海』 ブルース・スターリング ハヤカワ文庫FT
 スターリングが21歳の時に書いた処女長編。なぜかファンタジイの方で出た。サイエンス・ファンタジイだから、ということのようだが、これがファンタジイなら、ハードSF以外のSFはみんなファンタジイじゃないの。もちろん本書はSFだ。よくあるどこかの異星を舞台にした異世界ファンタジイよりもずっとSFだ。若くて才能あふれるSF大好きな作家が、才気としゃれっ気とはったりと想像力で紡ぎ上げた冒険SFであり、若い頃のディレーニイを思い起こさせるような華麗な小説だ。いや、実は若い頃のディレーニイほど外向きではなく、むしろ年取ってからのディレーニイのような内向きの部分が多くて、それが本書を大傑作とはいえない作品にしているのだが。エキゾチックな塵の海の描写や、そこに棲む生物たちはとても素晴らしい。エイハブを思わせる船長もいいのだが、主人公がちょっとねえ。もっと若い主人公だったら、また違った展開があって、さらに面白かったかも知れない。


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